消尽の日記

中身も外見もまぁ覇気がない

11月上旬の日記

 

 

かなり書くことがあった気がするけど全く覚えてない。覚えてないのでメモを開いたら「チーズの旨さでこめかみが弾けた」とだけ書かれていた。全く覚えてないので自分は二重人格者なのかもしれない。

 

 

インフルエンザの予防接種をした。

毎回思うけどなんで保険適応外なんだ。毎年お金がかかるし、予防接種すればインフルにかかる可能性が減るというのに保険が効かないからワクチンを打たない人間が増えて毎冬流行してるんじゃないのかと思う。多分保険が適応されればインフルの流行を抑えることが出来る思うんだけどなぁ。(もちろん予防接種してもかかる時はかかるのでそこはどうしようもないけど)

 

 

最近、イモをずっと食べているけどかなりキツイ。間違えて大量に買ってしまい少しづつ茹でたり煮たり焼いたり食べている。2日目で飽きた。あらゆる調理を施しても所詮はイモなので飽きがくる。朝昼晩イモイモイモ。カレー、肉じゃが、ポテトサラダ、それぞれにイモが含有している。それらの間に里芋がジャブを刻んでくるしサツマイモの抉るようなボディーブローからの剛腕じゃがいもストレートを顔面に食らって昏倒。しまいには夢にもイモが出てくる始末。述べ3日間で体の血肉は全てイモに置き換わりイモと文字通り一心同体となった究極芋生命体に転生した。

 

 

※ここから汚い話になります。苦手な方はブラウザバックを推奨します。

 

 

 

 

 

 

 

自分が記事のネタを思いつくのは風呂に入っている時かサイクリングの最中で、どっちもリラックス状態にスイッチが切り替わって無心になるのでアイデアが浮かびやすいんだと思う。そんなわけでサイクリング中に思いついてしまった。「オナ禁と神頼みって似てね?」と。

 

特に自然を神として信仰する形の宗教とかと近いと思う。

 

別に理由なくそう思っているわけじゃなくて其れ相応の理屈がある。まず前提をはっきりさせたいと思う。

 

オナ禁とは

自慰を禁じること。禁じることでさまざまなメリットがあると言われているが医学的根拠はない。勃起もアウトと考える宗派の人間も存在するらしいが基本的に勃起はセーフとすることが多い。

 

神頼みとは

神に祈って助けを求めること。大抵のものはどうにもならないが、稀になんとかなったりするので神頼みをやめることはかなり難しい。

苦痛を伴うタイプの神頼み(断食など)は自分の欲望を抑圧し、より良い結果を神から引き出すために行うことが多い。

 

 

 

大抵の人間がオナ禁を試みるとき、女にモテたいからとか目覚めが良くなりたいからとかニキビを改善したいからとか自分にとって有益な効果を求めてオナ禁を始める。

これの本質は自分の欲を慎み、その見返りとしてオナ禁の効果が出るように願うということで、つまり自分を抑圧しその分利益を期待すると言う面では神頼みとやってることが大体一緒。

超主観の偏見になるがオナ禁は「雨乞いために山や河を神と見立てて供物を捧げる感覚」にかなり近い気がする。「供物」にあたる神への献上がちんちんをいじらないという苦行に変わっただけだし。

 

 

そうは思いませんか?

僕は思います。(暴論)

 

 

 

自分の脳みその出力が足りないため、うまく言語化出来なかった気がする。伝わらなかったらごめんなさい。

 

 

おしり