朝起きて普段と変わらぬ一日を過ごした気がする。
特に何かを想起したわけでも実行していたわけでもないんで多分バイトしかしてないっす!
朝起きて電車乗ってダンス。
業。
業すぎさりしとき、飯を摂取。
みたらし団子。
団子系は安くておいしくて炭水化物と糖分を一気に摂取できるとてもコストパフォーマンスの高い良い食品なので思わず祝福してしまった
食べたら移動。
ビールのCMに出演する女囚が好き【検証】普通のOLもプロカメラマンが撮ればスーパースターになれるの? | オモコロ https://t.co/kVHXGQqmd3
— ヤマシナ (@yamashina_n) 2019年10月16日
完全ランダムで曲を流すとときめきシュガーの後に梠の円街が流れたりするのでめちゃくちゃ面白い
— ヤマシナ (@yamashina_n) 2019年10月16日
移動中に読んだもの聴いたもの。
モンゴルナイフが持ってるヤバいまでの圧力と表現力。
これは正直凄みがあると思うし被写体として百点なのでよかったら読んでみてください。
僕はビールのCMに出演する女囚とピーマンシェフの座頭市が好き、ハチャメチャに写りがいいから。
呂布カルマのYen Townっていう曲があって、かなり落ち着いた曲調のじめっとした纏わりつくような不気味さがある独特な曲なんだけど(名曲です)そういう曲が放課後ティータイムが歌うときめきシュガーの後に来る。
すると脳の使う部分が全然違うので完全に脳がバグって全部面白くなっちゃうんすね。
おもしろ~~~~~(カスの感性)
バイトに行って寝た。
最近寝る前にちょっと聖書を読んだりしている。
聖書、読み物としてかなり面白い。
結構抽象的な話も多くて理解力が必要なんだけど倫理観とか概念とかの話をしている時の聖書はものすごく輝いてるし、現代のあらゆる価値観に聖書の思想(というかキリスト教の観念)が混じっているように感じて面白い。
聖書は世界で最も売れた本な訳だけどその所以がちょっとわかる気がする、クソつまらんこと(要定義解釈)しか書いてない読み物が世界規模で売れたりしないので面白いことは確定的に明らか。
ここに書いてるクソつまらんとは
ウンチ学第一人者、うんちがくさ夫(うんちがくさお)
— ヤマシナ (@yamashina_n) 2019年10月18日
こういう感じの意味です。
なので「我が闘争はよく読まれてるけど内容はクソつまらんぞ」といったような意味とはちょっと違う、おれはもっと低レベルの話を書いている。
ちんちんを振り回す人間、ちんちんふりふり人(ちんちんふりふりんちゅ)
そうそうこれこれ♪
クソバカなのでこういうことしか考えてないです。
10/18
朝起きして二度寝をキメてしまったのでド遅刻。
仕方がないのでゆっくりしてから電車に乗った。
聴いた曲
『ミソシタ#44』満天のパラレル feat.Yamato Kasai from Mili
これ、最高です。
ミソシタのやるセルフサンプリングは感情の樹を生育する。
カラオケでファイティングブリーフなんだよな。
前向きなミソシタの曲も陰鬱なミソシタの曲も好き。
トラッシュペインっていう曲がおすすめなんだけどこれMVになってないからiTunesとかで聴いてください。
お前もセカイをシコれ。
業からのバイト。
全ての心身が摩耗。
疲れたので家に帰って溜まってた配信を観たりしてたけどもう時間も遅いので明日に引き継ぎ。
名取さな新衣装情報です。ご査収ください。 pic.twitter.com/ys3Dbrcv0r
— 名取さな🍆ば〜ちゃるな〜す (@sana_natori) 2019年10月18日
kwii
何かを考えたら速攻でメモを取るようにしないとすぐ忘れちゃうな。
しょうもない思考でもこの日記では財産に変わるので頑張ってメモりたいぞ。
メモできない状況をできるだけ避けてもっと自由な日記を書きたい、海に深く潜り、人混みをかき分けてビルの狭間をくぐり抜け、でっかく空を舞いたい。
そういう自由のもとに書けばもっと楽しく日記をつけることができそう。
メモ頑張るぞ。
ペットボトルのコーヒー飲みながらスーパーカップのバニラ喰ってその旨さにワハハ!ちゅてもうた…安上がりの幸福
— ヤマシナ (@yamashina_n) 2019年10月18日
「幸福な状態っていまある不幸を無視している状態だよね」というのをインターネットが言っててなるほどなと思った。
大体の人間は、自分がめちゃくちゃ幸せなときに後発開発途上国の子供が比較的簡単な医療を貧困や医療機関との物理的な距離の遠さなどの理由によって受けられず大量に死んでいるということや、クルド人とトルコの戦争で多くの兵士や民間人大が負傷、または死亡しているという事実を思い起こしたりしないんじゃないか?
少なくとも私はそうだし、自分が幸せを感じてるとき(例えば何か好きなものに没頭しているとき)に不幸なものが見えてないという現象は世間的にありふれたごく一般的な現象のような気もする。
幸せなときは不幸なことなんて考えたくないしそれが悪いことだとは自分は思わない。
それは別にしても「これは少なくない数の人間に当てはまることなのかなぁ」と考えたりしたのち、最終的には《「幸せな状態」というものは(割合はケースバイケースだけど)ある程度「不幸な状態」が見えてないという側面を持っているかもしれないから注意しようかな》くらいには心に留めておこうかなといった結論に落ち着いた。
この考え方はいつかどこかで役に立つ考え方な気がするので片隅に置いておこうと思いました。
観念強めのドラえもんで中和した。
おしり