消尽の日記

中身も外見もまぁ覇気がない

4月後半、5月の日記

 

 

2年やって区切りがついてその辺りから忙しくなり始めて書かなくなり、そのままずるずる日記について考える時間が減っていって完全にゼロになったせいでやる気が全部どっかいったので日記を書かなくなってしまっていた。

 

4月と5月はコロナのあれこれでバイトとか大学とかが閉鎖になって全部リモートになった。ツイッターでは同世代がZoomでする顔出し授業がだるいみたいな話をしていて、自分は全部の授業がZoomを使わないタイプの質素な物だったのでみんな大変だなぁと他人事だった。ただ、いつでも見れるし出席も取らないシステムの授業を一回サボってから本当に遅れ始めていてサボりたくないけどサボってしまう→そのことが気がかりで回避行動としてスマホを触る→サボる…の無限ループが生まれたせいで全部台無しになっている。書いている今も強烈な焦燥感に身を焦がしているが全く課題に手をつける気にならず本当に地獄だ。誰か助けてください。

 

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五月にはまっていたゲーム「恐怖の世界」のスクショ。今は完全に放置。

 

 

 

ここ数日は「オタクが社会人になってオタクをやめて悲しい」という旨のnoteと「Vtuberのリアリティーショー的な部分を賛同する流れに迎合できない」という旨のnoteが流行っていて、今日は特に後者のnoteに対する言及が多かったように見えた。

 

自分もそのことについて言及したい、つまりはTLに流れているオタクたちと類似した考え方を持つ存在であるということを自分自身で勝手に納得してアイデンティティ育成の一助としたい、あわよくば頭のいいことを言って自己満足したい(これは自分自身がそう考えていただけで他の人たちは多分そんなこと思って言及してない)と考えていたのでこっちで言及しようかと思ってたけど、結局自分はそういった主張に対して的確で妥当な言及ができるほどVtuberに熱中してないし、そういった言及ができるほどの考えや文章力もないことに気が付いて自分が恥ずかしくなってしまった。

 

内容に関しては半分共感できるけど半分は共感できないと感じた。一面的な話が多く、本人も前提として「これは個人の意見である」としたうえでnoteを書いているように感じられるような書き方をしていたが、それでも全体を語るような論調に見える部分においては少し私見的すぎたり乱暴な言い回しがあるなと感じた。だけど本筋は共感できずとも部分的に共感できる箇所は存在していて、たとえば本人たちの目の前では絶対に言えないような性的に酷い言葉を平然と書き込み、はやし立てようとする一部の流れ(向こうの記事から引用するとならば「性交の隠喩やもっとどぎつい修飾語が飛んでくる」こと)は自分もあまり得意ではないので、そこにおいては共感できる部分があった。この流れが得意でないのは、あくまで自分がそういった目で見られて直接そう言われるのが好きじゃないから自分もそういったことは生身の人間に対してはあまりしたくないというだけで、本人たちがどう感じているのかは(これは極端な物言いだけど)わからないし、自分が得意じゃないからというとても自分勝手な理由だけで苦手なだけなのでこれを他人に強制することは出来ない。そのため最近はコメント欄を極力意識の外に置くようにしたり、そもそも配信画面を全く見ないという形を採っている。

 

あと人生の切り売りのくだりに関する部分とかは、元のnoteを書いた人は否定的な立場から書いていたけど、自分は「これ大丈夫なのか?」という気持ちと「最高!」という矛盾する気持ちを抱えていて、今だどちらのスタンスを採りたいのか自分でもよくわかってないのでちょうど半分半分くらいの気持ちになった。

 

今回のこのnoteを読んだことで、自分はこれからも(今までの熱量をもってしてVを追うことはなくても)自分の気が向いたときに気が向いた分だけ追ってみようという考え方を明確にする機会を作ることが出来たかもしれない。

 

他人の意見を受信して自分自身の考えをまとめただけなのでオチがないことに気づいた。

 

 

おわり