消尽の日記

中身も外見もまぁ覇気がない

「詩歌」10/9の日記

 

 

10/9

 

 

指導教授と打ち合わせ。

 

死。

 

立ち直り論文の修正と加筆。全体の方向性を調整。

 

 

気持ちは薩摩義士(示現流)で行かせてもらってます。

 

 

嘘の笹木咲。空模様が赤黒いピンクと青で魚のはらわたみたいだと思った。

 

次のにじさんじカバーアルバムに笹木さんが出てるけど、担当曲がLOVE&JOYでどういうものになるのかすごく気になる。椎名さんはsecret baseだしニュイさんは何度でもだから割と想像できるけど、笹木さんのはどんな感じになるのか想像がつかない。アルバム楽しみだし特典欲しいから公式ストアで予約することにした。

 

 

わかってはいたし当然なことではあるけど短歌と詩では読み方が異なる。*1

 

まず、短歌の読み方(楽しみ方)の方法論として①作者の意図、登場人物の気持ちを読む②書いてあることをそのまま読む③自分ならどう書くかを考えるというものがある。

この話の出所↓

 

自分は短歌を読む際にこれらを複合したり、そのバランスを変えたりして読むことが多い*2んだけど、詩を楽しむ方法においてもある程度通底している部分はあるのではないかと推察しているし、実際この話はそこまで外れてないんじゃないかとも思っている。ただ、形式もオチの作り方も話の展開も何もかも短歌とは全然違うので、まずそこに慣れる必要が自分にはありそうだなと思った。

 

まだまだ詩の読み方は模索中だけど、形式に慣れれば短歌とはまた違った読みの体験ができるのかなと思っているので、そこはすごく楽しみに思っている。とりあえず詩評を読んでみたりしてとっかかりを作りつつテキストに向き合っていくのが楽しみ方を掴むという点において1番良い方法そうな気がする。

 

詩歌に触れることは楽しく、癒しでもあるのでこれからも続けていきたい。もしここで詩歌を読むことを辞めて、これから歳を重ねていったとしても自分の中に残るだろうなという確信めいたものがあるので、上手く言葉には出来ないけどこの気持ちを大事にしていきたいなと思った。

 

おわり

*1:だからといって一定の読み方にはめ込んで受動的に詩歌を消化したいというわけではないということは前提としてある

*2:もちろんほかの読み方も当然あるし、している