消尽の日記

中身も外見もまぁ覇気がない

「三周年」4/14の日記

 

 

4/14

 

日記、今日で3周年らしい。

 

 

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まさか日記が3年も続くとは思ってもいなかった。最初は軽い気持ちで始めたんだけどなんか習慣になりだしてそれからはすぐだったなという気持ち。2020年は精神的にキツくてほぼ更新できてなかったのがかなり悔やまれるけどそこでやめなくてよかったという気持ちもある。4年目の目標としては200本更新を頑張りたいという気持ち。

 

日記をただ書くというだけの行為だけどこれを毎日続けられる人間ってすごいなと思う。たとえばダ・ヴィンチ恐山は自身のNoteを毎日更新しているしほぼ毎回結構な文字数書いてるんだけど、これは本当に凄いことだと思う。自分ははてなブログを始めた当初、大体同じ時期にブログを始めた人(約20人)をフォローしたんだけど、今稼働してるブログは一個もない。それくらいブログや文章を書くことに興味がある人間でも毎日文章を出力することは難しいということ。もちろん恐山はライターで文章を書くことが仕事の人間だし、自分の周りのブログを書いている人が続かなかっただけの可能性やジャンルとかプラットフォームの違いで継続力に差が出てくる問題だとは思うんだけど、それでもやっぱり毎日続けることって難しいしできてる人間は偉い。自分もそうありたい。

 

一応このブログは長文を書く能力とタイピング能力を鍛えるためという名目で続けてたけど、そういうことは全然意識せずに書いてたので全く成長につながってない。結局長文は大学でレポート作ってる時のほうが成長を感じるし、タイピングは寿司打やってるときのほうが成長を感じる。結局練習は練習したいことについてしっかり意識を向けて取り組まないと効率悪いってことなんだと思う。

 

日記を書いていると過去の自分を文章で顧みることができる。自分がなんとか日記を続けられてるのはこの点において大きなメリットを感じているからだと思う。日々思ったことについて記録しておかないと1週間もすれば忘れ去ってしまうし、忘れてしまえば自身の中ではなかったも同然のことになってしまうので日々を書き留めることで自身の記憶を外部にストレージできるというのは利点としてかなり大きい。自分にとって大きかった出来事は何年たっても忘れないものだけど日常のなかの小さな感情の揺れ動きなんかはまず忘れるので、そういったものを文章として残すことで当時の自分の思考や行動をある程度「顕」させることができるというのは自分的にかなり安心する。ツイッターでもできるんだけど、ブログよりも呟きの流動性を意識して設計されているから書き溜めたものを見返すという点において不便さがある。そういった点でブログに何かしらを書いておくことはツイッターで呟くことに比べて優秀だと思う。つまり何が言いたかったかというともし日常の何かを記録してみたくなったら日記をつけてみるのも良いかもしれないねということ。

 

 

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4年目はこれになるのが目標です。

 

 おわり