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この日は昼過ぎに起きてしまったために有意義なことが何一つできませんでした。
おれは音声作品に対して敬意を評しているため毎回これになって聴いてます。
とりあえず音声作品は"寂"の環境がある場所(もとい住居)でないと満点のクオリティを発揮させるのは結構難しい。
例えば自分の住んでいる場所の近所に小学校や幼稚園といったある程度の音を発生させる施設が近いと落ち着いて聴くのは難しかったりする。(解決策は後述の通り)
あとは道路や線路に近い物件もあまり適しているとは言えないだろう、あと治安が悪かったりするとパトカーやスクーターを吹かす輩が多発するのでそういう要因も音声作品を聴くにあたっては相応のマイナスがある。
これらは基本的に自分が時間帯に気をつけてさえいれば簡単に解消できるが自分はどんな時間帯であろうと聴きたい時に聴けるようでありたい。
つまりはノイキャンが搭載されてるヘッドホンないしはイヤホン(カナル型)が必要であると感じる。
持ってないので欲しいですね。
あらゆる出会いと別れの話が好きすぎて疎と密の概念が大好きになっちゃった
— 消尽 (@n_exhaustion) 2019年12月27日
【しぐれうい】隣りの席のギャルとのあら~^なお話 https://t.co/mgYMtbsGpz @YouTubeより
— 消尽 (@n_exhaustion) 2019年12月27日
オデはさ、終わりのある密な関係が好き
— 消尽 (@n_exhaustion) 2019年12月27日
一抹の冷え切った静寂とそこに至るまでの健やかな日々が本当に好きで、それはなぜかっていうと自分が人間をいつか冷めてなくなってしまうものだと信じ込んでいるせいだからなんだけど、それでも永遠の幸福を祈りたい気持ちがあるんだよな
— 消尽 (@n_exhaustion) 2019年12月27日
これ、しぐれうい先生のエピソードなんだけどマジで良いんだよな。
Twitterで呟いている通り、自分は終わりある幸せな時間の持つ関係性へのエンチャント効果が好きすぎるので毎回こういったような話を収集してはニコニコしている。
ガチでキモい。
実際はニコニコしているというよりは悲しかったり寂しかったりして感情をめちゃくちゃに破壊されてしまうんだけど、それらはすでに過ぎ去った過去のものであってその事実は覆ることのない"絶対"であるから、その現実の残酷さにどうしようもなくなってもんどり打っては得体のしれない巨大な悲しみに打ちひしがれるみたいなことを繰り返している。
他人の人生なんだから出会いや別れがあるのは当然で、そういう情報を啜って生きてる。
何が言いたいかっていうとつまりは他人の経験や関係がその人からぽろっと溢れる瞬間が好きということ。
理原ひなりさんのYoutubeも観てくれよな。
この感情(嗜好)を明文化できる具合にまで組み立てられるようになれた(これが良いことか悪いことかは今は置いておくものとする)のは確実にこの人が要因です。
みんなも感情を引っ掻き回してみようよ。
おしり